人間は2度死ぬって意味がなんとなくわかり始めた

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故人を思って、仲間と集まる

先生の四十九日に仲間と集まりました。
ある人は、「まだ亡くなった実感がわかない」と言ったり、
別な人は、「亡くなっても影響力が強くて、自分の中で生きている」と言います。

故人は格闘技道場を経営しており、身体の使い方だけに終わらず、格闘技を通じた人生哲学を確固たるものとしていました。

生前の言葉、「死ぬのは怖くない」

格闘技の先生だけに、喧嘩が強いのと、自信があるのか、納得がいかないことがあると、トコトンぶつかる正確でした。

「俺は、死ぬのは怖くない」と豪語していたことを、ある仲間から聞きました。
どのような大人数であろうと、怖い人であろうと、意見があれば直接言いに行くタイプでした。

あおり運転する人がいれば降りて文句を言い、
居酒屋でうるさい人がいれば文句を言い、
暴走族がうるさければ文句を言い、

と普通ではないくらい短気だったことを、亡くなった時の仲間の集まりで知りました。

「何を残したかより、どのように生きたか」

弔辞の時に仲間が、
「先生は、何を残したかより、どのように生きたかが人間にとって大切だ、とおっしゃっていた意味が今わかります」と話してくれたことが忘れられません。

先生は、大きな財産や格闘技道場を繁栄させたということはなく、コロナ渦でも淡々と経営を続けており、格闘技の種をしっかり育てていました。その背中をみて、何人ものプロが誕生し、格闘技に人生の軸を置いています。

まとめ

別日に、仲間と格闘技道場の大掃除をすることにしました。
人ひとりが亡くなるってとても大変なことだと実感する日々です。
そして、亡くなっても集まる仲間がいる人ってそれだけ影響力があることだと思います。

人間が2度死ぬとは、肉体が滅びた瞬間と、人に忘れられた時、と言います。
肉体が滅んでも、その教えを継ぐものがいれば、その人は生きているとも言えるかも知れまん。

当たり前に明日も生きるつもりでおりますが、もう少し、死ぬってことと向き合いうことで、今ある時間を大切にしていきたいと思いました。

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■長男&長女日記(2歳6ヶ月&0歳9ヶ月)
長男と、耕運機に乗りました。5分くらいで飽きちゃったので、またの機会に田をすきます。
長女は、絵本の読み聞かせをするとニッコリします。その後は、絵本をガジガジします。

■1日1%の成長
焚き火をしながらボーッとする

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